妻のココロ(4)/別居生活から離婚まで

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夫の浮気発覚後、一旦は家を出た夫だったが
結局家に戻ってきて夫婦の関係は続行となった
だけど、信用できなくなった相手との暮らしはうまくいかなくて
ずっとぎくしゃくしてた
二人の間にできた深い溝は埋まることがないまま
仮面夫婦のような日々が続いた
ある日の事
夫が「今日は会社の飲み会で帰りが遅くなるから」と言って仕事にでかけた
私はその夜唐突に、浮気が発覚した日の事がフラッシュバックし
「もしやまた浮気なの?!」と思ったとたん
心が乱れ、感情が吹き出し、涙がとまらなくなり
すっかり心が壊れてしまい、夜中に子供を抱きそのまま実家に逃げ込んだのが別居の始まりとなった
携帯のない時代だったので、連絡もできないので
確か短い手紙を書いて家を出たように思う
(手紙の内容はあまりよく覚えていない)
あの時、誰もいない家に帰宅した夫は何を思っただろうか
夫はきっと、驚いてすぐに迎えにくるに違いないと
当時はなんとなく思っていたのだが
予想に反して彼は、迎えに来なかった
「ごめん、俺が悪かった。どうかしてた。
お前と子供が必要だ。一緒にいたい。戻って来てくれ」
と、そんな言葉を内心では待っていた
その言葉が来るまでは、戻るまいと思っていた
その言葉が来たら、気を取り直しまたやり直そうと思っていた
だけど、何日過ぎても夫からのラブコールはこなかった
そこからは、日々自問自答の毎日だった
「もう離婚してしまおう。あんな父親ならいないほうがいい」
「ほんとにいいの?お父さんのいない子供にしてしまっていいの?」
「何のとりえもない私が、子供を育てていけるかな。食べさせていけるかな」
「でも、じゃ、どうする?私からは絶対戻りたくない」
心を決められず悩んでいる時期は、とても苦しかった
いつしか夜も、全く眠れなくなってしまった
そうして別居から一年過ぎた頃に、ついに離婚を決意した
離婚届をどのように書いたのかはよく覚えていないけど
夫から父親としての親権を求められもめるという事もなく
子供は暗黙の了解で私が育てる事となり
慰謝料として軽自動車一台買える程度のお金を夫からもらい
子供成人まで毎月定額の養育費をもらうという約束をとりつけ
さしてもめることもない、示談での円満離婚だった
(養育費は途中から振り込みが遅れるようになり
やがては催促しても振り込まれなくなり
私の再婚が決まり、その時点で催促もやめ軽蔑だけが残った)
離婚届は私が一人で出しに行ったと記憶している
「苗字はどうしますか?旧姓にもどしますか、そのままにしますか」と聞かれ
考えてなかったのでどうしようかと悩んだが
苗字が変わる事の不便や体裁の悪さを考えると
旧姓に戻さずそのままの苗字でいることを選択した
(いま思えば、情けないけどまだ少し未練が残っていたのかもしれない)
余談だが、、結局苗字は離婚から5年後位に旧姓にもどした
家庭裁判所でとても怒られたが
なんとか承認を得る事ができ、無事結婚前の苗字に戻ることができた
5年という期間
憎しみとか、失った「家庭」への未練とか、もろもろの感情が
やっと、強がりじゃなく本当に吹っ切れて
ないものねだりしても仕方ないので、前を向いてこの先も子供と二人で地に足つけて前へ進もう
と改めて覚悟を決めた時でもあったように思う
離婚したのが私が27歳、子供が1歳
旧姓にもどしたのが私が32歳、子供が小学校入学前の6歳の頃でした
母子家庭時代は
子供には、寂しい思いばかりさせた
私は未熟でとても頼りない母親だった
でも子供は、父親がいないことを寂しがることなく
一生懸命私を愛して、私を必要としてくれた
あの頃は子供に助けられてばかりだったと、しみじみ思うとともに
胸が苦しくなる
親がダメなせいで、ずいぶん負担をかけてしまったなぁ・・
その子供も今は
おかげさまで良い伴侶に出会い
家庭を持ち、親にもなって、幸せに暮らしているので
まぁ、結果オーライということにしておいてもらおうと思う
妻から離婚をつきつけられ悩む男性へ
子供を手放さないためにも
あきらめないで
夫婦再建へのヒント、離婚回避の言葉がここにあります
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